『言葉ははかない』がうまれるまで 11

☆内藤さんは、震災直後に被災地に入って活動をはじめていますよね。

震災翌日の3月12日、川原医師と連絡が取れたときには、彼はもう被災地に向かっていました。私もすぐに合流して、14日甚大な津波被害を受けた仙台空港近くの名取市に入りました。

川原医師はすぐに医療活動をはじめて、俺自身も毎日たくさんの人の話を聞いたよ。被災された方々は、みなさんご自分の話を聞かせてくれるんだよね。

俺も電気のない真っ暗な中にいて、一週間以上寝袋で寝起きしていた。ふとした瞬間に、感情とは別に涙が止まらなくなるんだよ。ただ、涙が流れていく。そういう時は、小さな丘に1人昇って涙を流してた。

スピッツのスタッフの中にも地元出身の人がいる。俺が現地にいると言うと、すぐに大量の物資を持って駆けつけてくれたスタッフもいてさ、本当にうれしかった。

「こんな大変な時に音楽なんて何の役にも立たない」と言う人もいるし、音楽をすることの意味すら考え込んでしまうミュージシャンもたくさんいたと思うよ。電気を思い切り使って照明を点けてライヴやるなんて不謹慎だとか・・・

だけど、被災地にいる俺の魂の中で音楽は鳴り響いていたし、それが俺を支える力そのものだった。光り輝くもの、胸に響く音は、人に生きる勇気を与える力として絶対に必要なんだよ。本当にそう思った。

4月13日のNHKホールで、照明に照らされたスピッツがステージで演奏をしているのを見てさ、涙が止まらなかった。俺の中の光がやっと灯った感じだったね。同じ想いで彼らを待っていたオーディエンスは、たくさんいるのだと思いますよ。

写真集とは関係のなさそうな話しだけど、俺にとっては無関係ではないんだ。

光り輝く音楽をやりつづけてきたスピッツの軌跡を、今こそ届けたいと本当に思ったんだ。それが俺に今できることの、大切なひとつだと。

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